2021年1月20日水曜日

【人にどう「まなざされているか」】

私が管理人をしているFacebookグループの投稿と同じものです。広く問いかけたいので、こちらでも。
他人からの評価や、どう見られているかを気にし過ぎて、自分らしさを失ってしまうことは良くありません。
しかし、そういったことに全く無頓着であってもよろしくない。と思います。
我々バスケットコーチは、常に「まなざされて」いる立場です。
子ども達は勿論、保護者の皆様にも、コーチ仲間達にも、常に「まなざされて」います。
”人を一方的に評価してばかり…「まなざし」てばかりだったようですが…”
”「まなざされている」とは 言い換えるなら…「自分は他人にどう見られているだろう?」という 自分の「客観視」”
”貴方は今 人にどう「まなざされている」とお思いですか?”
それなりの経験、知識、実績、知名度を得た人は、「褒めそやす」人が周りに増えます。
苦言を呈したり、言うべきことをビシッと言ってくれる人の方が少なくなります。
その環境に慣れてしまうと、いつしか人の意見を聞けない、自分だけが正しいと思い込む、自分と違う見解や考え方を一方的に否定する…こういった傾向を呈する指導者が、少なからずいます。
実るほど頭を垂れる…という諺もありますが、
「自分がどう"まなざされているか"」
ということは、折に触れ、見直すことが大切だと私は思います。
自分が思っているほど、人は自分のことを尊敬していないかもしれない。むしろ傲慢不遜でしんどい奴だと思われているかもしれない。
自分に悪気はなくとも、周りからはそう「まなざされている」かもしれない。
自分にとって大切な場であれば、その場において自分がどう「まなざされているか」は、気にした方が良いと思います。
画像は「まなざされている」云々の元ネタ。
私はちょっとしたスキマ時間の気分転換に、電子書籍でマンガを読んだりします。
基本的にはストレス解消のためなので、純粋に楽しいだけのマンガを好みますが、幾つか、気付きを得るために愛読しているマンガもあります。
これはその一つです。
マンガと侮るなかれ。色んな気付きがあります。
雨瀬シオリ『ここは今から倫理です。』5巻 P32-33より引用



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